2才からのボコちゃんの成長日記etc..
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地震1
2011年03月25日 (金) | 編集 |
忘れないうちに地震のことを。

11(金)、ボコちゃんは午前保育だったため、
お昼を食べに行こうと埼玉のとあるショッピングセンターへ
車で行っていました。

まず、プリクラしたいと言っていたので、ゲーセンでプリクラしてから
エレベーターに乗り、回転寿司屋に向かい歩いている時のこと。

この日は何故かボコちゃんが何度か「そんなところでコケる?」
「そんなところで打つ?」って感じで、ちょこちょこ怪我をするので
今日はあまりツイてないのかなぁと思い何か不安だったので、手をあえて
繋いだ記憶があります。

その時です。

事前にくる緊急地震速報の加減か、お店の人が出てきて
「どこが安全なの?」とか言っていて、私は「なに???」
って思っていたら、突然揺れ始めました。

ちょっとくらい大丈夫かな・・・ と立って様子を見ていたら、
吹き抜けの2Fにいたせいかすごく揺れ始め、みんながキャーキャー
言い出し、ドカーン!ガシャーンガシャーンと何の音かわからないけど
すごい物音がしてきて、私も上から何か落ちてくる物がないか確認しな
がら、ボコちゃんを抱きしめしゃがみました。

すぐそばにエスカレーターがあって、外が見え駅のロータリーが見えま
したが、建物の揺れか地面が揺れているのか、全ての外の景色が異様に
揺れていて、頭の中に「建物の構造上、この2Fはヤバい。下に落っこちる」
と不安になり、揺れがマシになった瞬間、緊急停止したエスカレーターを
ボコちゃんを左手に抱え、右手はエスカレータの手すりを持ち降りました。

その間も、揺れている・・・。
外に出たのはいいけれど、建物のガラスが落ちてくる可能性・バス停留所
の屋根が倒れてきそうだったので、何もなさそうな場所へ移動。
ボコちゃんは大泣きはしなかったものの、恐がっていました。

コートの帽子をボコちゃんに被せ、揺れの様子を伺っていたら
夫からの電話。
夫は出張していて、高松空港から羽田に向かうところでした。
国会中継をTVで見ていたので、びっくりしたらしい。

大丈夫であることを伝え電話を切ると、今度は大阪の母から電話。
絶対次もまたデカいのがくる可能性あるから気をつけてと。

そう、関西の地震でもそうだったけど、1度デカいのがきたら、
次もまたくるのだ。
揺れが落ち着いた時、駐車場へ行き急いで出ることにしました。

すると、天井の何かの破片?やタイルが剥がれているのか
何やらたくさん地面に落ちていて、それもまた恐怖でした。
車で出る時も、余震があり、揺れていました。

とりあえず、何も食べてなかったので近くの駐車場の広いコンビニに
停車しました。
食べられる物を買いに行こう歩いたら、腰とお尻の骨が痛い・・・。
どうやらボコちゃんを抱っこして階段を下りた時に痛めたようです。
ゆっくりゆっくりしか歩けない。
したらその時にまた大きな地震が。
慌てて、車の中に乗り込みました。
車の中でも遊園地の乗り物にでも乗っているような激しい感覚の揺れです。
この時の地震は、茨城の地震だったよう。

そして、また揺れが落ち着いた時に、おにぎり・パン・お菓子など
食べられる物を色々買って、車の中に。それでもまだユラユラしていましたが。
(この時はまだたくさんコンビニに品があったよな。。。)

自宅まであと少し。 車に乗っている間に、義親からの電話。
義親宅も相当揺れたらしい。

家に到着したら、周辺の人達が外に出ていました。

家はどうなっているんだろうと入ってみたら、
想像していたより悪くはなかったけれど、
食器棚のコップなどが下に落ち破片が散らばっていました。
10コくらい?は捨てたような気がします。
あとは泥棒が入った??みたいな状態。
2Fは部屋のタンスの引き出しが空いていたり、物が落ちていたり
ということはあったけれど、あまり物を置いていない部屋もあるので
まぁあの地震のわりに2Fの被害は少なめでした。

家にいても余震が続きました。
途中、ガスがストップし、 東京ガスのサイトが繋がらなく困っていたら、
交流のあるブロガーさんからガスの復活の方法を教えてもらい、助かりました。

仙台にいる交流のあるブロガーさんもいて、すごくすごく心配でしたが無事だと
聞き安心。 お隣のお家のご両親が仙台にいるらしく、連絡が取れないらしい。


地震があると、家族がすごく大切に思える。

夫に側にいてもらいたいのに、いない。

結局高松空港で足止めをくらい、飛び立てず。

高松で泊まれば?と話をしていたけれど、18時頃にようやく飛ぶらしいとのこと。
でも羽田到着しても、東京の電車は止まっていました。高速もストップ。

私が「お義父さんが隣に乗ってもらえば、車で何とか羽田まで行けるかも」
と提案したので、夫は飛行機の乗りました。

が、大阪の両親や義母は身重な体で余震も続く中、羽田まで車で行くことに反対。
何だかんだしていたら、夫は羽田に到着しました。
もちろん、モノレールは動いていない。

とりあえず、行ってみないと状況が分からなかったので、
22時は過ぎていたかと思います。義父と一緒に車で行ってみることにしました。

ボコちゃんは義母と一緒に家にいてもらいました。
すると、裏道を通るもすごい車の渋滞。
川があるのでとりあえず橋を渡らないと都心まで行けない。
その橋までも到達できなくて、いつもなら10分でも着きそうな場所に
1時間30分も経過しました。
車に乗っていても余震が続くし、もう寝ているだろうボコちゃんを置いてきている
ことも心配。これはもう1晩かかると思い行くのをやめました。。

夫は高松で半時間待たされ、やっと飛行機に乗れたけど
どうしようもない状態にガックリ。
結局、毛布とダンボールを無事もらえ、1晩空港内で過ごすことになりました。
寝床を探し、まさにルンペン状態。 かわいそうだけど、仕方ありませんでした・・・。
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巨大地震
2011年03月12日 (土) | 編集 |
とりあえず、無事です!

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